Vol.16

今日は快晴だった。人工的に作られた波を遮る石段の上に、黒月はただ、何もする事も無く海の蒼と、空の藍を見ている。だが、視線はどこにも向いていなかった。ただ、宙を見ているだけ。
あのエディフィルとか言う男の言う真実とやらを知らされてから二日が経っていた。色々と考えてみて気持ちの整理をしようと思ったが。二日経った今でも現在自分の置かれている状況というものがよく判らなかった。いや違う。本当は判っている。
遠く海辺から来る波は、黒月の靴に届くか届かないかの高さまで岩場に打ち付けられ、海面へと戻っていき繰り返す。
この施設の探索機なのだろう。特殊な形状の普段見かけることの無い形状の戦闘機が黒月の見ている空から始め点として現れ、黒月の髪を散らし轟音立てながら上空を通り過ぎて行った。

―――――――――【邂逅〜Time say good-by〜】Vol.16―――――――――
【天使の微笑】

「ここにいたのか」

不意に背後から声がかけられた。エディフィルとか言う男の声だった。

「ああ」

黒月は振り返らずそう答えた。エディフィルはやれやれといった表情で肩をすくめると、胸のポケットから煙草の箱を取り出し、一本加え火をつける。

「右腕の調子は良さそうだな。もうACに乗ってもさほど支障は無いだろう」

ACか、と黒月は小さく呟き視線を少し落とし、先程散らされ肩に流れてきた髪を元の位置に戻しながら言う。

「ACにはもう乗らない。もう乗る意味が無い」

「…ほう。もうACには乗らないつもりなのか。一体どういう心境だ?」

「もともとレイヴンなんて好きじゃないんだ。ただの殺し屋だからな…。ただ、それが合法的に認められるってだけで、金は入っても結局企業の犬で、栄華を極めるって言っても人殺しの腕が上がったに過ぎない。結局奈落へ落ちていくしかないような奴なんだよ。俺達は」

「人の生死とレイヴンは切り離せないからな。確かに恨まれる事も多い。だが、それなら何故レイヴンになったんだ?君は」

黒月は一瞬男を振り返り一瞥すると、また海を眺め始めた。

「…最初は復讐だった。姉さんを殺した奴に復讐しようと。そうやって知り合いの元で訓練を続けてきた。基礎体力作り、射撃練習、ナイフ戦、格闘技、情報収集や電子機器やメカニックの学習…幸いスラムでは戦闘演習に苦労はしなかったけどな。替わりに子供らしい事は一切出来なかった。金は姉さんが残してくれたけど、その時まで学校なんか行ってなかったし」

所々愚痴のような言葉をこぼしつつ黒月は話を続ける。

「でも途中で目的が変わった。姉さんが生きてて、更に無差別殺人をしていると言う情報を手に入れたからな。思えば、姉さんがそういう風になったのは、あんた達のせいだったな」

「別に私達のせいと限った事ではないのだがな。君は姉が死んでも良かったのか」

チッと舌打ちし黒月は答える。依然エディフィルに背を向けたまま。

「アリアが死んでいいとか思ってねーよ。…ただ、止めさせたかった。生きてくれればそれで十分だった。姉さんを止めてスラムに帰りたかっただけだ。レイヴンになったらそれも可能かと思ったんだ」

「だが君は、姉が記憶を無くし、アリア・レインベルとしては死んだということを知った。更に自分にとってはあまりよろしくない真実とやらを聞かされる羽目になって困惑している、といった所か」

黒月は立ち上がりざまエディフィルの方へ向き直り、その顔をキッと睨む。

「アリア姉さんを強化人間にしやがったお前達を恨めれば良いんだがな。姉さんの顔で赤薔薇が『この人がクライアントです』みたいなことを言われたら、その気も萎える」

ふむ、とエディフィルは再度肩を落とし、二本目の煙草に火をつける。

「なかなかに荒れてるな。まあ、無理もないが。だが、ACに乗る目的は与えてやったろう。悪魔を倒すという、とてもとても勇者的な目的を」

笑いながらエディフィルは言う。その顔にはまったく真剣味がなかった。

「そんなの興味無い。レイヴンの勇者なんて滑稽過ぎだ。第一、アリア姉さんでも敵わなかったような奴に勝てるレイヴンなんてそうそう居ない。俺なんかでは無理だ」

「さっきは復讐とか言ってたではないか。怖気づいたのか?」

「あんたがその妙な御伽噺でもしなければ戦う気にもなったのだが。どの道、俺は世界がどうなろうと知ったことじゃない」

そう言い捨てるとエディフィルには目もくれず、黒月は施設の方に向かって歩き出した。

「昔、レイヴンは不自由だった。いや、ほとんどの人が自由を失った。“管理者”という機械によって」

「もう一度支配を受けるのがそんなに嫌なのか?別に良いだろう?身から出た錆だ」

そう黒月が言い放った時だった。思わず身を引いてしまうほどの暴風が黒月を襲った。背筋に冷たい物が走り、空気が静電気を発してるかのように痛かった。それは風などではなかった。凄まじいまでの――殺気。

「あ…」

黒月の目の前に男が立っている。蒼穹の空にただ佇んでるだけのその姿が、まるで巨人のように感じられる。
エディフィルと呼ばれていた男だった。その顔には先程までの苦笑とも微笑ともつかない笑みが消え、まったくの無表情が浮かんでいた。
エディフィルは氷のように冷たい茶色の瞳で黒月を見据え、言った。

「…アリアが君に教えた事を…君は忘れたのか」

「姉さんが…俺に教えてくれた事…?」

「赤薔薇ではない。君の知っているアリア・レインベルだ。彼女はこう言ってなかったか?」

「“人というものは桜と同じ。長い時間の間一瞬だけ咲き誇り、風とともに消える運命(さだめ)の儚い存在”」だと。

黒月はその言葉を知っていた。

――ねぇ、黒月。桜って何で綺麗なのかな?――

――フフ、判らないって顔してるわね。でも簡単な事よ。桜はね、今を精一杯生きてるの。だから綺麗なんだよ。その他はただのこじつけ――

――人もそう。長い宇宙の時間に比べれば、人の人生なんてとても短いの。その中で出来る事はただ子を残す事だけ。そして子に歴史を受け継がせる事だけが、私たちができるただ一つの事なのよ――

――一生懸命生きてる桜を無理やり摘み取ろうとすることって悲しいわ。せめて自然に散らせて欲しいものよね――

「レイヤード時代に生きた私たちは管理者によって支配されていた世界を知っている。幾人もの人間がたった一つの機械によってその生命すらも管理され、切り捨てられていた時代を」

忘れていた姉の言葉、何で今まで思い出せなかったんだろう。

「確かに人は争う。しかしそれは人によって行われることだ。悪魔は管理者の子。今度は支配なんてことも生温い。狂った管理者によって生み出された子は、確実に人類の息の根を止めてくる方法をとる。必ずだ」

姉さんは言ってなかったか?『あなたにも…判る時が来るから』と。

「じゃぁ…赤薔薇が行ってた無差別殺戮っていうのは…」

男は口を止め。顔に僅かな苦い表情を作る。

「ああ、悪魔に近づいた人物を狙っての事だ。初めの内は悪魔と戦闘した経験がフラッシュバックして戦闘中暴走を起こしたりした。それで世間では無差別殺戮というレッテルが貼られてるが。真実はいつも歪曲して伝わる。君との戦闘もそれだ。サイレントライン――あそこにある技術は決して人に触れさせてはならない。一歩間違えればそれこそ人が滅ぶ。破壊すら出来ないそれを、彼女は永遠に守りつづけてるのだよ。強化人間になりながらも…」

そこでエディフィルは一旦言葉を切る。

「姉さんは…確かにそう言ってた…せめて自然に散らせて欲しいと…なんで今まで忘れてたんだろう」

他人が聞いたら違う意味に取れるその言葉だったが、エディフィルはその意を汲み取ったらしい。表情に微笑が浮かぶ。

「…アリアの思いは君にしっかり伝わってるじゃないか」

そうエディフィルが穏やかに言う。何故か頬に熱い涙が伝った。悲しい冷え切った涙ではなかった。姉の思いが自分に残っていたという、生まれて初めての嬉しい涙だった。
目元を擦り顔を上げた時、もうそこには涙は残っていなかった。代わりに自分でも驚くほどの優しい微笑が浮かんでいた。

「俺…ACに乗る目的が出来たよ。もう一度レイヴンになっていいのかもしれない」

エディフィルはフッと黒月に笑いかけ、施設の方へ足を運んだ。

「黒月・レインベル。君に渡す物がある。夜、君の部屋から左の通路の先にある今まで入れなかったフロアに来てくれ」


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