Vol.3

朝日が昇って少々の時刻が過ぎた。
ロアは窓から陽光の降り注ぐテーブルで、ささやかな食事を食べながら、新聞を両手一杯に広げていた。

「サイレントライン騒動か……だんだんと厄介な事になってきたな」

とあるマンションの一角。広すぎもせず、狭すぎもしない、至って平凡で飾り気の無いこの部屋が、最近C-2に降格した、ロア・C・バンズディンの住処だった。

「……無人ACか。まさかこんなものまで実戦投入寸前だったとはね」

部屋にはロア以外、誰も居ない。
にもかかわらず、ロアは一人事を呟き、コーヒーを啜る。
一人暮らしをしている彼だから、他人と会話する事は至極少ない。しかもレイヴンという職業柄、仕事場というものも存在せず、同僚との語らい――などとは程遠い世界だった。
そんなわけで彼の生活には独り言が多い。
これは意識してそうなったわけではなく、自然とそうなったものだ。

ロアは朝食を全て食べ終えると、食器を無造作に流しの方へ持っていき、放置する。
そしてテーブルへ戻ってくると椅子に深く座り込み、卓の上に足を乗せ、組む。
ポケットから煙草とオイルライターを取り出し、火をつけ、新聞を広げる。彼のいつものスタイルだ。
無言で彼の目は、新聞の文字列を追っていく。
追っていく目は早く、20秒としないうちに、次のページに捲られてゆく。
その目が、ある一点で止まった。

「……あ、そう言えば今日だっけ?あいつと会う日」

独り言を言う。
最近、人付き合いの少ない彼に、知り合いが出来た。彼女の名前をアリア・レインベルという。
彼女もまたやはりレイヴンで、一度アリーナで手合わせしたことすらあるのだ。
結果はロアの惨敗だった。その試合の直後、彼はアリアと初めて会ったのだ。
それはかなり奇矯な出会いだったが。

記事にはこう書かれていた。

―――鬼才アリア・レインベル獅子王を倒す―――
・前日行われた特殊アリーナ戦
このアリーナ戦はグローバルコーテックス(以下GC)の特別な措置として行われたもので、現在アリーナを急速上昇中の、アグリアスを駆るB-7レイヴンのアリア・レインベルと、現在王座に君臨している獅子王との前哨戦が目的だ。
多くのレイヴンファンの支持を受ける、この両二名だけに行われた、GCによる極めて異例の措置だった。
戦闘は見事な名戦だった。鬼才が獅子王を紙一重の差で打ち倒し、実力では既にアリーナ随一との世論を得た。
今後行われると思われるアリーナ本戦が期待される。

―――――――――『懐かしき日々〜Perfect Blue〜』Vol.3―――――――
【恋色の詩人】

「よ、ロア。敗北感に打ちのめされながら、元気してたぁー?」

待ち合わせの人気もまばらな公園の噴水の前、ロアが来た時には、既にアリアが噴水前の石段に座っていた。

「ん、元気といえば元気だ。特に体に異常は無い。お前の頭は、相変わらず壊れたままらしいが」

「相変わらず無愛想ねぇ。ってか、それを通り越してステキな性格してるわよ。あんた」

万年コート姿のロアに対し、今日のアリアは男物のジーパンとジージャンと言うボーイッシュなスタイルの服を着ていた。
その冴える金髪の髪を掻き揚げ、苦笑しながらアリアは言う。

「それよりお前、寒くないか?この季節にそんな場所に居ると風邪引くぞ」

ロアが何の色も見えない顔で言うと、アリアはパッと顔を輝かせ―――

「もしかして私を気遣ってくれてるの?」

感心したような――

「あんたにもそう言う神経あったんだ」

からかうような口調で言った。一言多いところが実に彼女らしい。

「……あー、今日は飯食いに行くんじゃなかった?例の件の祝いの。一応、おめでとうと言っておく」

話をはぐらかそうとロアが言うと、アリアは石段から腰を浮かし、ロアのほうへ歩み寄ってくる。
彼女の金髪が軽く宙に浮き、緩やかに舞う。

「ん、王者を打ちのめした、そのお祝いにね」

まるで困った子を諭すように、アリアは前屈みになり、手を腰の後ろで組み、微笑を浮かべて言った。
ロアはその微笑を見て、少々頬を赤らめる。

「……そういう語弊のある言い方されると、俺が王者にぶちのめされ兼ねないんだが。」

そう言った時だった。アリアはロアの腕を取り、その腕に自分の腕を回し、そして歩き始める。
アリアと共に歩き始めながら、言うまでも無くロアは動揺していた。

「大丈夫。私がいるでしょ?」

ロアは微笑を浮かべ、言った彼女を見つめる。
ロアは今まで初恋を知らない。そんな感情を抱いた事が無かったのだ。
そして、初めて不思議に思う。彼女の指から、腕から、体から感じられるその暖かさが、恋という物なのだろうかと。

「…どうしたの?行こう」

そんな思案を巡らせてるロアを見て、アリアは不思議そうな声で促した。

「ああ」

二人の影が、紗のかかり始めた秋空の下の地面に吸い込まれ――――消えていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

【酒場 夢瑠璃】

アリアに紹介された店、それは飲み屋のようで、随分とレトロな趣向で彩られた店だった。
どうやらアリアとその店の店主は、知り合いらしく―――

『お、いらっしゃいアリアちゃん。そっちの彼は彼氏かい?』

『やだなぁマスター単なる下僕ですって。そんなのじゃありません』

『そ、そうか単なる下僕か。そっちの彼、これから大変だろうが頑張って生きろよ。人生そんなに悪くない。生きてりゃ、いつかはいいこと起こるさ』

『ですよねー。なんたって私と一緒に食事できるんですから』

『アリアちゃんは、それはもう酒癖悪いから。君、飲む前に保険屋に連絡を入れておくと良いよハハハ―――』

と言う身も蓋も無い、と言うかいろんな意味で誤解のある会話をしていた。下僕とさらりと言う、この女の神経を伺いたかった。

店主から運ばれる料理を口にしながら、夜景と共に会話は弾んで、カウンターには空のビンが増えていく。
アリアはどうやら酒は好きなようだが、どうもめっきり弱いようだ。
既に酔いがかなり回っていて、白い頬にはほんのり朱が差し、呂律も少々怪しい。
ロアはウイスキーをまくまくと飲み続ける。自分で言うのもなんだが、今は少々酔ってるが、酒には強い。
だが、あまり飲む習慣は無く、こうやって誰かの付き合い以外で口にする事はあまり無い。

「―――なあ、あんたはどうして」

そうやって時間が過ぎて、ロアの緊張感が緩んで、幾許か経った時だった。

「いつも笑っていられるんだ?」

ロアは煙草の灰を灰皿に落としながら、そう尋ねた。

―――違う。

ロアは頭の中でそう叫んだ。ロアが聞きたいのはそんなことではなかった。

――どうして、俺なんかと付き合うのか?
――アリアは俺のことを、どう思ってる?
――俺なんかと一緒に居て、アリアは楽しいのか?
――恋人って何だ?どんな顔をして、どんな風に接すればいい?

聞きたい事、話したいことは沢山あるのに全部が空回りする。酒が入って酔いが回っても、自分のその気持ちが伝えられない。
嫌だった。こんな自分が嫌だった。

「あーのね。ロアが聞きたいのはそんなことじゃないでしょ?」

ロアの聞いた質問を無視し、アリアは言う。

「……は……何故?」

「顔に出てるぞ。今ロアが頭の中で考えてる事、全部判るよ」

ドキッとした。アリアはグイッと顔をロアに近づけ、微笑しながらロアの瞳を覗きこむ。
豊満な胸のラインが露になるが、アリアは一向に気にした様子が無かった。

「―――今、私のことを考えたでしょ?」

「………うッ…………」

ロアはうめく。冷汗。
アリアはニコリと破顔し、こう言った。

「――――違うとか言ったら、ただじゃおかないからね」

その言葉が酔った勢いで出た言葉なのか、それとも彼女の本心なのか、まだ判らない。
だがロアは、アリアという女性が、自分の心の中を締め付け始めたことを、それに伴って変わってゆく自分を自覚した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

夜もだいぶ更けた頃合――ロアとアリアは酒場―夢瑠璃を後にし、帰路へとつき始めた。

「うー気持ち悪いー」

まったく、とロアは溜息をつく。やはりアリアは飲みすぎたらしい。
ロアは彼女に肩を貸してやりながら、彼女の住居のあるスラム地区へ入る街の裏道を今、歩いていた。

「あんた、ACの腕は一流でも、こういう所にはだらしないんだな」

溜息混じりに言い放つと、アリアが右手を上げ、曲がり角の左を差す。指示に従い、ロアは曲がり角を曲がる。

「ちょっとぉ、背中貸しなさいよぉ」

「うわっ――ちょ、ちょい待て、こらッ」

結局、羽交い絞めされるような形で、ロアはアリアを背負った。
この女には節操と言う言葉を知ってるのか?真剣にロアは思う。

「あと少しで着くからぁ、それまでいいでしょ?」

「はいはい。………家には誰か居るのか?スラムで一人は流石にやばいだろ」

「あー、大丈夫。黒月が居ると思うからさぁ」

ともかく、家に行けば家族が居るようだ。その事に一安心し、ロアはアリアを背負いなおす。

しばらくして、スラム地区の一角に、彼女の家らしきものが見えてきた。

「おい、お前の家は―――――ってコイツ、寝てやがる」

背中からアリアの静かな寝息が聞こえてきた。さて、どうしたものか、とロアは思案する。
その時、その家に明かりが灯り、家の勝手口から一人の人影が現れた。そのシルエットは女性のように見えるが、アリアよりも背が低いようだ。

「―――姉さん?」

人影が此方を見、そう言った事から、ロアはこの子が、アリアの"妹"だと判断した。

「…えーと、黒月…ちゃん?」

人影は近づいて来て、その輪郭を露にしてゆく。驚いた、此方も姉と瓜二つの美貌の容貌をしていたからだ。
まだあどけなさが抜けず幼いが、黒髪のしなやかなその子は、成長すれば姉に劣らぬ、美人になるであろうことは、ロアの目にも明らかだった。が

「……言うなれば黒月"君"ですが。姉を運んできてくれて、ありがとうございますね。御礼を言います」

「―――あ、男なのか。悪い、見間違えたようだ」

言いながらロアは黒月少年に、背負ったアリアを引き渡す。アリアは寝言らしい事を二、三言口にすると、再び静かな寝息を立て始める。

「いえ、慣れてますから気にしないで下さい」

黒月少年は微笑する。その容姿はまるで女性で、未だにロアは彼が男かどうか疑問に思っていた。

「いつもは僕が背負って帰る役を負いますからね。姉がご迷惑おかけして申し訳ありません」

「まあ、迷惑と言うほどでもないが。――よかったら君からも、お姉さんにもう少し慎ましく生きるように言ってくれ」

「はぁ、いつも忠告してるのですが。ご存知の通り、とことん自分勝手な人でして」

「黒月ぃ、余計な事言わないの」

アリアの声。見ればアリアは目覚めたらしく、黒月少年の肩を借りながらも立っていた。
ロアはその姿を確認し、苦笑する。

「じゃあ俺はこの辺で帰る。黒月君、後頼むな」

「ええ、貴方もお気をつけて」

そう言ってロアは踵を返し、帰路へと着く。
ロアは煙草を取り出し、火をつける。ふと夜空を見上げた。
蒼夜に、月がとろりと浮かんでいた。


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