Vol.5

秋の空、どんよりと空を満遍なく覆っていた雲が、風に流され少しずつ蠢くように流れてゆく。
それは絵画的で、中世ヨーロッパの宗教画にもよく描かれる空の景観。
雲の割れ目、隙間から太陽の光が差し込み、大気のコロイド粒子がそれに反射して、空中の光の道筋を露にし、大地を照らす。
いつからだろうか。その神々しい景観に人々がこの"名"を与えたのは
――――天使の階―――――と言う、その名を

ロアに、話したい事がある―――――
アリアにそう言われ、俺は無数の残骸の転がる戦場を後にした。
まだ市街地は戦闘の警戒態勢が解除されておらず、街が本格的に機能するまで少々時間がかかりそうだ。
そういうわけで、約束の日はそれから三日後の、以前彼女と飲みに行った酒場『夢瑠璃』で彼女と落ち合う事にした。

――――――――『懐かしき日々〜Perfect Blue〜』Vol.5―――――――――
【愛に時間を〜To be with you〜】

「………ハァ」
溜息が出る。何故か?―――決まってる。
可愛い顔してるクセに、性格は頑固で、ガミガミと説教口調で、姉に対する敬意や、崇拝の欠片も無いあの馬鹿弟のせいだ。
二日前、遂に自分がレイヴン家業している事がばれた。
まぁ、確かに美人で、今期ミスレイヴン暫定者で、王者をぶちのめした程の腕を持つ私が、雑誌や報道機関で大っぴらに紹介されてるものだから、いつかはバレると覚悟を決めていたつもりなんだけどねー
そんな他人から見れば自惚れの極み―――本人のナルシズムから比べれば些細な物だが―――を考えながら、アリア・レインベルは、まだ警戒態勢でシェルターが開放されてない街の中、そんな警戒態勢とは無縁のスラム街を、一人歩いていた。
もちろんこれから帰宅するところである。
その表情は何処か冴えない。
何しろ帰宅すれば、件の弟と顔を合わせることになるからだ。

このスラム地区は先の襲撃でもほとんど被害がなかった。
スラムに住む者もほとんどが荒くれ者で市民IDなど持っていない。そんな者がシェルターに避難しても受け入れられるはずが無く、大抵の者が、各々の安全な場所に避難していた。
弟の黒月に限っては市民IDを保持しており、シェルターに逃げる事も出来ただろうが、どうせあの馬鹿は自分の事より友人や、まだ幼い子供を安全な場所へ避難させるために奔走し、シェルターへは行ってないだろう。
案の定、夕暮れに染められた空の下、アリアの住居には朧ながらも明かりが灯っていた。
「………やっぱね。私の読んだ通りだわ………ハァ」
今日だけで通算百回は超える溜息が出た。それだけ―――今の黒月には会いたくない。
まあ、そうは言っても取り合えずアリアは玄関を開ける。
暗い。玄関先に黒い影が立っていた。アリアは顔を上げる。
「ただいまぁ」
「…………………オカエリ」
すっげぇ堅い挨拶が返ってきた。
「なによぉ、命懸けでこの街を守るために奮戦してきた姉に対して、もうちょっとこう、気遣いの言葉かけらんないのぉ?」
「ああ、いっそ爆死してくれた方が、この家を独り占めできて俺的には嬉しかったんだけどね」
いくらなんでもそれは言いすぎではないのか。思いつつアリアは靴を脱ぎ、廊下に出る。
「私もあんたがボランティア活動している間に流れ弾当たって居なくなってたら、今日不快な思いしなくてよかったんだけど」
もしこの場にロアが居れば、真顔で二人をこう評しただろう『どちらも素晴らしく更正不能な性格してる』と。奴にいわれる筋合いは無いのだが。
「あー、晩御飯できてるー?今日昼食べてなくてさー。あの時間帯に奇襲かけなくてもいいのにねぇ」
「あのさ、俺は専業主夫型機械じゃないんだから。こんなごたごたした日に、呑気に飯なんか作ってられるかよ。ってかいい加減自分で作れ。彼氏に嫌われるぞ」
彼氏とかサラっと、イタい所を突いてくる。
「はぁ?あのねぇ、忙しい私の代わりにご飯を作ってくれるために、わざわざあんたに、直伝の料理の腕を叩き込んでやったのよッ。こんなときにその腕を披露しないでどうするのよッこの馬鹿ァ!!ッ」
「無茶苦茶捻くれた論理で癇癪起こすなッ!この阿保ッ!!」
「最初に阿保って言った人が阿保なのよッ!!………ハァ、疲れるー、もういいやシャワー浴びてくるッ」
「…………お湯、張ってある」
アリアは足を止め、黒月に向き直る。露骨に視線をそらされた。
「……ん、ありがと」
なんだかんだ言って、弟も弟なりに自分を心配してたのだろう。アリアは服を脱ぎ、バスタオルを体に巻くと浴室へと入った。だが――――
「―――――ッ!!まだあっッついじゃないのッ!!」
破壊音と共に、居間のドアを張り倒して、アリアが新聞を読んでいた黒月に抗議する。黒月は別段気にした様子無く
「服着れよ。馬鹿」
言い放った。

――――――――――――――――――――――――――――――――

三日後―――酒場『夢瑠璃』

カランカラン

軽快な音と共に一人の男が入ってくる。長身痩躯の赤髪の男だ。
「…よっ」
「ん」
短い挨拶を交わし、ロアはアリアのお気に入りの席―――正面に道行く人が見渡せるミラーガラスの傍―――に座る。
マスターが灰皿を持ってくると共に注文を取りに来ると、ロアはジンジャエールを頼み、ポケットから煙草を取り出し、安物のライターで火をつけ紫煙を吐く。
「――――瓦礫の撤去作業、結構終わったみたいだな」
ロアが会話を切り出す。
二、三ヶ月前、始めて会った時はもっと取っ付きづらく、会話するのにも気を遣う程の男だったのだが。
「うん。だいぶあちこちに散らばってたからねぇ……」
「サイレントライン騒動も、どうやら決着がつきそうだな。近日中に王者がサイレントラインの中枢に突入するらしいぞ」
「…………」
アリアは無言。
ロアは紫煙を吐くと、まだ長い煙草を灰皿に押し付ける。時を同じくしてマスターがロアにジンジャエールを運んできた。
「まあ、王者が出るなら――――あの人はやってみせるだろう。もう無人MT、AC襲来の危険性も無くなるな」
無表情に言って、ロアはグラスを傾ける。
しばしの沈黙、だがそれもロアが切り出した。
「………そんなに――――」
そこで一旦言葉を切った。それが印象的で
「言いにくい事なのか?」
と、続けた。
ロアが視線をアリアに向ける。アリアも視線を向け、目が合う。
しかし一秒ほどでアリアの方から目線を逸らした。
――――やっぱり、怒るだろうか?いや、そんな事では済まない、絶交かも
「……ちょっとね」
暗鬱な事を考えが脳裏をよぎる。アリアは言葉を濁し、自分もグラスを傾ける。そして心の中で決心する―――言おうと。
椅子を45度回転させ、ロアに向き直る。
「あのね、ちゃんと真面目に聞いてよ?」
「……ああ。お前が言う"真面目"の範疇は、俺にとって"通常よりちょっと緩め"を意味する。さあ言うがいい」
けっこうマジでムカついた。アリアは一旦視線を彼から離し、椅子を正面に戻す。
「……ハァ。何から話せばいいやら」
手を太股の肌に置いて、そして―――
「あのね、管理者は生きていたの」
さりげなく肩に手を置かれる。振り返る。
「アリア。病院いこうか」
「…………なんかこう、形容し難い殺意が湧いたんですけど」
「自殺願望か?それは良くない。いい病院を知ってる。入ればどんな根性無しでも勇敢になって出てくる。代わりに時折、奇行に走る事があるそうだが」
肩に置いた手の甲を思いっきりつねる。ロアは落ち着いた造作でスッと手を引き、
「判った、真面目に聞く。だから俺に判るように話せ」
今度の声色は誠実な響きがあった。だからアリアは話した。
自分の家系の意味、父の為した事、レイヤードでの騒乱、管理者の事、そして―――悪魔"ダンテ"の事を。

実際、常人ならこの話――真実を聞けば、語る自分を精神異常者を見るような目で見ただろう。
だが彼は真剣に―――と言うか無表情に―――煙草を燻らせながら、アリアが一時間ほどかけて語る話を、顔色を変えず、ずっと聞き続けていた。
話が終盤に近づく。しかし、話はこれだけではなかった。
太股の上で握り締めた手が、小刻みに震える。
もっと大事な――――彼に関わる、自分が言わなくてはならない事があった。
「…………ほんとはね。あなたと初めて会った時、何で私があなたに声をかけたか――って言うのは」
声が震える。言葉が続かない。アリアは俯いた。それは、別れの言葉だった。次第に視界がぼやける。
駄目ッ、泣く!―――――――――
そんなアリアを見たロアが、口を開いた。
「何泣きそうな顔してんだ。いい。判ってるって」
―――本当は、この戦いに、あなたを利用しようと思ったからなんです―――
ポツっと、太股に水滴が落ちた。
「……ゴメン…なさい………私は………あなたを……」
涙声になってアリアは彼、ロアに謝罪の言葉を告げた。
それで許して貰えるなんて、微塵も思ってなかった。自分は、彼を利用しようとして、彼に近づいたのだ。
言った所で自分が考えた事が消える訳でもなく、彼が許してくれるはずも無い。でも―――
「泣くなって。別に気にしてない、そんな事」
心の何処かで、その言葉を言ってくれることを期待していた自分が居た。
それが現実になって、自分を強烈な自己嫌悪へと引きずり込んだ。
胸が、軋むように痛かった。
「………でも…」
「こうして俺に話してくれた事が、俺に気遣った証拠だろう?」
自分に対し、限りなく、優しい―――彼
「………………」
彼は、顔に手を差し伸べて、涙を拭ってくれた。
「俺も、お前と一緒に戦うから」
ハッとなってアリアはロアを見上げる。
「で、でもッ」
ロアは微笑を浮かべる。
「絶対お前を一人では行かせないから」
「………ロア、だめ。多分私ですら…ダンテに勝つ保障はない」
なら―――と、ロアは良いアリアに向き直る。何かを決意したような、その赤い色の、優しい目。
「俺が、守るから」
照れくさそうに、でもはっきりと、ロアは言った。アリアもその言葉に含まれる意味を悟り、顔が紅潮する。
「ロアって馬鹿」
「はっきり言うなって。―――でも俺は、馬鹿でもいいから、お前と一緒に居たいから」 「…………」
何時からだろうか、マスターが気を利かせて、既に営業終了の看板を出していた。目が合った。マスターは微笑を浮かべて、磨いたグラスを棚に置き、店の奥に入る。
「………一つ、言ってみても良いか?」
「……ん、何?」
「この戦いが終わったら、アリア、俺と一緒にならないか……?」
「へっ?」
自分が呆然となるのが判った。
言った傍からロアは視線を逸らす。どうやら聞き間違えでは無いみたいだ。
ロアの顔が真っ赤だ。珍しい物を見た気分だったが、きっと自分も同じようなものだと悟った。
「これ―――」言って、彼はポケットから、黒くて細かい毛皮に包まれた四方形の小箱を、アリアに手渡す。
箱を開いてみると、中に品の良い細かな模様の刻まれた、純銀で作られたリング―――その先にちょっと大きめの、自分の瞳の色と同じサファイアが、酒場の灯りに反射して蒼く、輝いていた。
驚いてロアを見る。
「お前と一緒にいると、退屈しないで済みそうだし」
彼の軽口は一種の照れ隠しなのだろう。
喉が渇いていた。少々の間の後、アリアは彼に言った。
「……バカ。私まだ17なのに」
青い目と赤い目が見つめあう。
「……全部終わったら…か」
ふと、微笑が浮かぶ。熱い涙がこみ上げてくる。
生まれて始めての―――――嬉しい涙。

「―――――――いいよ」
―――こいつとなら、それもいい。
レトロな酒場の一隅、窓辺に座る二人の男女のシルエットが、ゆっくりと重なる。

――――――――――――――――――――――――――――――――

今でも愛を知らなくて、愛を知らなくて何故―――
僕にはあの感情が、あの感情が無い―――?
変わらない愛を知りたくて、愛を知りたくてそっと―――
開いたあの感情を、あの感情を抱いて―――
What is Love―――?


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